2021-08-05 第204回国会 衆議院 議院運営委員会 第51号
私の地元でも、一宮市七八%、江南市八二%、岩倉市八九%、丹羽郡扶桑町、大口町でも九割超えというようなことで、地元の市長、町長が活躍してくださって、ワクチンの接種は大いに進んでいるという状況です。しかし、一方で、今日、蔓延防止措置の対象に愛知県がなってしまったということで、昨日の感染者数は三百七十六という数でございます。
私の地元でも、一宮市七八%、江南市八二%、岩倉市八九%、丹羽郡扶桑町、大口町でも九割超えというようなことで、地元の市長、町長が活躍してくださって、ワクチンの接種は大いに進んでいるという状況です。しかし、一方で、今日、蔓延防止措置の対象に愛知県がなってしまったということで、昨日の感染者数は三百七十六という数でございます。
再選された岩倉市長は、その後、IRを中核として、宿泊施設やMICE、周辺市街地の整備などを一体で進める国際リゾート構想を推し進めてきました。 住民からは、ギャンブル依存症や自然環境の破壊に対する不安の声も上がってきました。そうした中で、指摘される土地の購入も行われているということであります。しかも、その土地は、IR施設を整備しようとしているその場所の隣接地と聞きました。
○山岡委員 岩倉市長のお名前が出ましたが、大臣は御同期で衆議院に当選されたというお仲間でもあられるということであるんですけれども、是非、苫小牧という地域、大臣に心を寄せていただきたいと思います。
岩倉市長ともやり取りをさせていただきたいと思っております。
その渋沢栄一公を、二〇一九年の四月の九日、当時の大久保利通のやしゃごであられる麻生先生が、新一万円札に渋沢栄一をされるということでありましたし、それから津田梅子さんも、あのときの岩倉具視使節団に六歳で一緒に同行されています。そして津田塾をつくる、それから英語教育の最初ということをやり遂げられるということもあります。
○黒川参考人 それはそのとおりかと思いますが、私、最近ちょっと考えることがあって、日本人は何でこんなのが常識なのかなということをいろいろ読んでみると、岩倉使節団、それから福沢諭吉とか、いろいろあるんだけれども、結局は、鎖国のときのマインドがずっと残っているんじゃないかという気がします。
津田梅子という人も、これは日本で初めてで、たしか岩倉具視と一緒に初めて留学して海外に行ったまま日本に帰ってこず、そのまま残ったのかなんかして、とにかく、学校をその後、教育やら何やらでえらい発展して、最初のキャリアウーマンじゃないかと思うぐらい、明治の維新で頑張られた最初の帰国子女であったんだろうと思いますし、北里先生はもうペスト菌やら何やら有名な方だと思いますので。
○国務大臣(麻生太郎君) 岩倉使節団が初めて二年にわたって海外に、伊藤博文公、大久保利通、いろんな人を連れてあのとき回って、そのときに、図書館、議事堂、中央銀行、それから駅、鉄道の駅等々をみんな見たという記録が残っているんですけれども、公文書館は入っていませんものね。見損なったんですよ、あの人たちが。最大の罪はあそこにあると思いますけどね。
○杉本委員 あわせて、名古屋だけちょっと自慢するのもおこがましいというか、私は一宮市というところとか江南市、岩倉市というのが地元なんですが、ほかにもやはりいい例が日本広しということであるのかなとも思うんですが、ほかの地域で、こんなところが実は結構進んでいますというような例があれば教えていただきたいんですけれども。
○国務大臣(麻生太郎君) こういった他国に比べまして日本の公文書館が著しくみすぼらしいと、これは歴史的に岩倉具視使節団に遡って具合が悪いんだと思っております。同行した大久保利通始め皆、絵画館、図書館、いろんなところへ行ったんですけど、公文書館とか行っていませんもんね。記録を調べられたら分かると思いますが、公文書館には行っておらぬのですよ、岩倉具視一行は。
これは随分長いこと取り組まさせていただいて、今少しずつでき上がりつつあるときになったんですが、日本の場合は、多分、薬師寺先生、これ歴史的に、岩倉具視という方が海外に使節団として行かれたときに、西欧諸国で少なくとも図書館とか絵画館とか国会とか中央銀行とかいろんなものを見学されて、それなりに明治の時代に持ち込まれて、それを必死になってつくられていったんですが、公文書館というのは見なかったんですね、あのとき
百五十年前、誕生したばかりの明治国家にあって、近代化を牽引した岩倉具視はこう述べています。国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。明治の日本人にできて、今の日本人にできないわけはありません。
これは岩倉具視の手抜きなんだと確信していますよ。絵画館も見た、美術館も見た、みんな見たよ、だけど公文書館見るのを忘れたんだよね。間違いありません、記録が残っていませんから。だから、俺の祖先の大久保利通も行っていますよ、伊藤博文も行っている、みんな行って、公文書館行ったという記録が残っていませんから、見なかったんですよ、多分。
自衛隊機も墜落をして、春日井市、小牧市、岩倉市に落ちて、亡くなる方、住宅被害もあったわけです。 こうした経過があるからこそ、ブルーインパルスの展示飛行を春日井市長もやめてくれと反対しておられます。そして、小牧市、豊山町も、二市一町で歩調を合わせていくと表明をされております。
その当時の明治政府の中心にいたのは、草創の士、いわゆる下級武士、そして町人、各階層からの人々、そして岩倉具視を初めとして、下級公家と言われる方々が中心として明治政府を起こしました。そのときに何を一番最初に行ったのかというと、いわゆる上級公家、五摂家を廃止し、そして、天皇陛下が必ず横に置いておられた神祇官というのを廃止されました。
○国務大臣(麻生太郎君) 明治の初め頃、岩倉使節団が出たときに、二年ほど、大久保とか伊藤とかみんな一緒にくっついていって、出ていって帰ってきた中で、博物館、美術館、図書館等々、皆ヨーロッパで見て回って、すげえということだったんですが、公文書館はみんな忘れたんですな、多分、あれ資料を見ても書いていませんから。
同時に、岩倉具視の言葉を引用され、明治の日本人にできて今の日本人にできないわけはないともおっしゃいました。 しかしながら、シリアのテロ事件、あるいはウクライナの問題、さらにはEUの経済、金融問題等、世界の政治経済状況は混迷をきわめ、緊張感が高まっています。それに日本がどう対応していくのか。
明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。 明治の日本人にできて、今の日本人にできないわけはありません。今こそ、国民とともに、この道を前に向かって再び歩み出すときです。
明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。 明治の日本人にできて、今の日本人にできないわけはありません。今こそ、国民とともに、この道を前に向かって再び歩み出すときです。
都市計画法の地域の指定について、都道府県の所管というような問題もあるのかもしれませんが、例えば、私の地元一宮あるいは岩倉市というのがあるんですが、川を隔てて農地と住宅地、名鉄が走っているんですけれども、線路を隔てて農地と工業地区というような設定があって、地元からも変更の相談、陳情があったりしております。
次に、社会資本整備総合交付金における他事業というか、関連事業への活用ということを伺いたいんですけれども、地元の都市計画道路、萩原多気線、県道名古屋江南線と岩倉市の市道の北島伝法寺線の間の区間なんですけれども、この区間では、道路整備の事業費が、土地区画整理事業と、土地区画整理事業に関連すると言えるかもしれないですが、住宅市街地基盤整備事業の社会資本整備総合交付金によって賄われているという実態がございます